コーヒー

好きな事が辛くなった。
得意な事が得意では無くなった。
当たり前が当たり前でなくなった。
初めての経験はそのようなものであった。

大人になる事とは、そういう事なのかもしれない。

膨大な自由と責任。
絡まり合う自分と他人。
呆気ない信頼と信用。

考え過ぎてしまった。
別に気にする事はない。

その通り。

ただ、突っかかる。
別に対してしんどい訳では無い。
気にしなければ楽しい事の方が多い。
ただ、ほんの5%、これが突っかかる。


---ああ---大人になってしまったのか。


…この5%が子供であり続けるひとつの自分にとって最大の悪腫である。

子供で在る事の最大の意味は、
「夢」がある事だ。

将来の夢を書けという小学生の時の課題は常に空白だった。
ただ、こうありたいという「夢」は未だに心の中にあり続けている。

美味しいコーヒーを飲める毎日。

それが10年以上持ち続けている夢だ。

たくさんの作品に感化された幼き自分は、
朝、湯気を立たせる暖かいコーヒーを飲むだけの地味な理想に…それゆえのカッコ良さに憧れた。
当時はただの憧れであった。

たくさんの経験がそれが「夢」であると囁いてくる。

コーヒーの苦い味は気分によって大きく変わる。

辛い時は口につけることが出来なくなるほど苦くなる。
心地の良い時は、その風味に魅了される。


コーヒーが美味しい日なんて数える程であった。

コーヒーの美味しくない日ばかりであった。
いちいち数えてたらキリが無いほどに。

から、嘘をつく事にした。
無意識の自分に、自己暗示をかけられてしまった。

辛いのに、辛くなくなってしまった。
なんだかんだで次の日を迎えてしまう毎日が繰り返される。
自分の本当の気持ちが、霧の中に消え去った。

最初でこそ、驚いたし、泣いた。
でもどこかで「そんなもん」って納得してしまって、深く追う事は1度もなく…

そうして気づいた。

---ああ---大人になってしまったのか。

あれになるものかと思い続けたあれにいつの間にかなってしまった。
子供の頃の自分を裏切ってしまったのだと、確信した。

…けど、コーヒーはしっかりと苦いままだった。
泣いているのに気づかない日すらあったというのに、
コーヒーは苦いままでいてくれた。

それに気づけたのはほんの最近である。



絶対に手離したくない「夢」がある。
今もまだ真っ暗闇だけど、
絶対にぶれることの無い「夢」がある。
何も持ちえぬ自分の
唯一自分たらしめる物…
大切な人と共に、その「夢」を叶える。

これが十年かけて導き出した---
あの空白の答えだ。